第一回は、46歳男性Yさんの転職実践記です。

「受講断ろうかな…」

Yさんから受講相談の電話をもらい、その経歴を見た時、

「これは苦労するぞ…」

と思いました。

まず、現在の立場は自営業者で、しかも脱サラしてもう10年以上になるのです。

建築設計事務所を営んでいたのですが、事業不振で食べていけなくなったので、再就職したいということでした。

自営業者は独立志向が強く組織になじめない人材と判断されやすいので、転職には不利に働きます。

それも自営歴10年以上の人のサポートは、私も未経験でした。

それだけでなく、実はそれ以前の経歴も相当にイレギュラーであり、転職活動は相当難航することが予想されました。

一瞬、「受講を断ろうかな…」という気持ちが頭をよぎったほどです。

しかし、電話のYさんの口調がなんとも朴訥(ぼくとつ)で人柄の良さがにじみ出ていて…

気がつけば申込を受け付けていたのでした。^^;)

海外でのいきなりの未経験業務

詳しいヒアリングを行ううち、改めてYさんのキャリアには驚かされました。

良い意味でも、悪い意味でも。

Yさんのサラリーマン時代の社歴は2社ですが、合わせて8年程の勤務歴しかありません。

Yさんの年齢なら、優に20年以上の勤務歴があるのが普通です。

しかも、本業である建設設計にサラリーマンとして従事した経験は、4年ほどしかないのです。

私大の経済学部を卒業したYさんは、日本の建設会社に入社。

海外拠点を日本で支援する事務職として働き始めました。

そして3年後、Yさんはフィリピンへ海外異動となり、現地での事務管理業務に従事しました。

あくまでもYさんの仕事は事務職であり、建設作業に直接携わることはないはず、でした。

ところが…

ある時会社の事情で、大型倉庫の建設業務の全てを、Yさんが担当せざるを得ないことになりました。

建設実務が全くの未経験なだけでなく、言葉も文化も異なるフィリピンでのことです。

建設用地や建設許可の取得から始まり、現地人を手配しての大型倉庫の建設業務は、困難を極めたそうです。

しかしYさんは、髪の毛が薄くなる程のストレスを乗り越えて、無事完成にこぎつけたのでした。

フィリピンに赴任して3年が過ぎていました。

驚くべきセカンドキャリア

驚くのは、この後のYさんの行動です。

大型倉庫建設で建設業務の醍醐味を味わったYさん。

本格的に建設の道に進みたいと、会社をすぐに退職してしまいます。

そして建築設計をゼロから学ぶために、アメリカの建築系の大学に入学したのです。

4年後に大学を卒業すると、そのままアメリカの建築設計事務所に入所し、2年間実務を経験します。

そして、日本に帰国して自分の建築設計事務所を立ち上げ。

働きながら二級建築士、そして一級建築士を取得したのです。

驚くべきYさんのバイタリティです。

そして、建築設計のプロとして十分な実力を身に着けていきました。

しかし、Yさんの事務所運営は順風満帆とはいきませんでした。

実はYさんは強度の「あがり症」であり、また「どもり癖」もありました。

そのため、営業が苦手であり、自力での顧客開拓がなかなかうまくいきませんでした。

景気の良い時は紹介で仕事が回っていましたが、景気が悪化すると途端に仕事が減り、食べていけなくなったのです。

Yさんの抱える課題

中高年となっていたYさんは、安定した生活を求めて再びサラリーマンに戻ることを決意します。

応募先は、経験をそのまま活かせる建設系企業です。

しかし自力での転職活動は難しいと判断し、サポートを受けられそうなところに片っ端から電話をかけたそうです。

そして縁あって、私と転職活動に取り組むことになりました。

客観的に見て、Yさんの転職活動には大きく2つの課題がありました。

1つは、長い自営歴を含むイレギュラーな職歴。

もう1つは、面接への苦手意識が強いことです。

後者については、コンサルティングを行う中でもスムーズに言葉が出てこないシーンが少なくなく、苦戦を予感させました。

面接対策は行うものの、普通の人以上に応募書類上で評価を高める必要があります。

ただでさえイレギュラーな職歴なので、

「応募書類をどれだけ魅力的なものに作り込めるか」

が、Yさんの転職活動の成否を握っていました。

Yさんのキャリア・ブランディング

Yさんのキャリアは、ネガティブに解釈される大きなリスクがありました。

つまり、

「自分がやりたいことが最優先」
「会社勤めが続かない」
「コミュニケーションが苦手」

といった評価です。

応募書類では、これらのネガを潰してポジティブな要素を強力にアピールする必要がありました。

その一方で、Yさんのイレギュラーなキャリアは、普通のサラリーマンとの差別化の材料も豊富にありました。

「積極的な行動力」
「活発な自己啓発意欲」
「実戦的な英語力」
「日・米・比3国の建築設計知識」

といった要素です。

要約すると、

「3国を股にかけて活躍した建設設計実務のプロ」

という見せ方でYさんのキャリアをブランディングしたのです。

履歴書と職務経歴書を存分に作り込んだ上で、フィリピンでの大型倉庫建設のエピソードを題材に自己PR文として添付しました。

それによって、「大きな困難も乗り越えられる」人間性を表現したわけです。

Yさんの応募書類のブラッシュアップには、通常の2倍近い時間がかかりました。

ベストは尽くしたので、あとは反応を待つだけです。

蓋を開けたら…!

Yさんくらいの年齢になると、書類選考を通過して面接に進める確率が10%を切ることもまったく珍しくはありません。

予想ではYさんの反応も10%を超えることは難しいのでは、と考えていました。

ところが…

Yさんが応募をした14社のうち、実に8社から面接の案内が届いたのです!

これには私も驚きました。

Yさんのイレギュラーなキャリアは、多くの会社から唯一無二の魅力ある存在として評価されたのです。

問題は、得られた8社の面接の中からどれだけ選考を通過できるかです。

通過率を少しでも上げるため、私はYさんの想定問答の対策に力を入れました。

毎日のように面接を受けるYさんからは、

「やはりうまくいきませんでした」
「手応えはまったくありません」

といった落ち込んだ報告が届きます。

しかし、それから数日後。

その言葉に反して、Yさんから「面接通過しました!」という嬉しい報告が続々と届いたのです。

最終的に、Yさんは8社中5社で最終面接まで進みました。

そして、志望度の高い2社から内定を獲得したので、他の3社は最終面接を辞退しました。

採用担当者からは、

「Yさんは高い業務スキルを持っている上に、非常に温厚で誠実な人柄であり、ぜひ一緒に働きたいと思った」

と言われたそうです。

Yさんは決して能弁でも流暢でもありませんでした。

しかし、面接での飾らない朴訥とした話しぶりは、多くの企業でむしろ好ましいものとして受け止められていたのです。

「ゆっくりでも、ぎこちなくても、自分の強みを着実に伝えることができれば、採用への道は開ける」
「企業が採用したいのは、「話がうまい人」ではなく「仕事ができる人」」

ということを、Yさんを通じて改めて学ぶことがでたのでした。

2つのサプライズ

予想を超える成果を挙げてくれたYさんでしたが、最後に2つのサプライズがありました。

1つは、転職先の選定です。

Yさんが内定を獲得した2社のうち、1社はかなりの大手企業。

もう1社は優良企業ですが、企業規模も待遇も劣りました。

私は大手企業に入社するものと思っていましたが、Yさんが選んだのは後者の方でした。

その理由は、

「そちらの会社の方が自分が成長できる仕事の内容・環境だから」

というものでした。

向上心の強いYさんらしい判断だと思いました。

そしてもう1つのサプライズ。

どうしても直接お礼を言いたいと、Yさんが大阪からわざわざ訪れてくれたのです。

お土産を頂いた上、鰻までごちそうになってしまいました。

鰻も美味しかったですが、それほどまでに喜んでもらえたことに、私自身がとても幸せな気持ちになったのでした。

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